上質なライフスタイルを彩る美しいバラのボタニカル・アートのお店です

 

画家ルドゥーテのご紹介

 
 ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ(1759 -1840)は現在のベルギー南部の町サンテュベールの画家の家に生まれました。後年、兄も弟もそれぞれパリに出て画家になっています。子供の頃から父親のもとで職業画家になるための技術をたたきこまれる一方、自然豊かな故郷の町の森や修道院の庭に生い茂る草花を観察することに熱中しました。

 1782年、ルドゥーテはすでにパリで装飾画家として成功していた兄を頼ってパリに出ます。兄の仕事を手伝いながらも、生来の植物好きから暇を見つけてはパリの各所にある庭園でスケッチにいそしんでいました。そんなある日、彼は足繁く通っていた通称『王の庭』と呼ばれた王立植物園(現在のパリ自然史博物館の一部)で高名な植物愛好家シャルル・レリティエ(1746 ? 1800)に出会います。ルドゥーテの画才と植物への情熱を見抜いたレリティエは、当時彼が準備していた『イギリス希少栽培植物誌』の挿絵をルドゥーテに描かせることにしました。
 
 レリティエとの出会いを契機に、ルドゥーテは植物学の世界にのめり込み、多くの専門家の知己を得るようになります。またレリティエの紹介でオランダ生まれの人気植物画家ヘーラルト・ファン・スパーンドンク(1746 - 1822)とも知り合います。スパーンドンクは王立植物園付きの画家としても活躍していましたが、ルドゥーテはほどなく彼のスタッフの一員となります。そしてこれらの人々との交流が縁で革命前夜のフランスでマリ・アントワネットの蒐集室付きの画家になったのです。
 
 そしてフランス革命後はナポレオン皇妃ジョゼフィーヌの庇護を受けるようになり、彼女がマルメゾン城に蒐集した植物の記録係となりました。ジョゼフィーヌはルドゥーテを厚遇し友人として接したと言います。そして、1809年にナポレオンとの離婚が決まり悲嘆にくれるジョゼフィーヌを慰めようと、ルドゥーテは彼女が世界中から集めたバラの美しい図譜を作って献上することを計画します。ジョゼフィーヌはその計画の実現を前に、1841年に51歳で急死してしまいますが、それが後に刊行されルドゥーテの最高傑作となった『バラ図譜』です。
 
 『バラ図譜』の刊行は1817年に始まり1824年に完了します。その間にもルドゥーテは自然史博物館図画講師となり、多くの王族、貴族の子女に植物画を教えました。


 

About the owner

クマさん

「ルドゥーテのバラの庭」を運営するウーゴズのクマ社長は、長年美術館や博物館向けの展覧会企画に携わってきました。最近は生来のネイチャー志向が目覚めたのかウーゴズのオフィスを植物でいっぱいにして、室内でいかに植物をうまく育てるかに挑戦し、「植物男子ベランダ―」ならぬ出窓でパッションフルーツを育てる「デマダー」を名乗っています。そんな中でルドゥーテに出会い、今春は長崎県立歴史文化博物館での「宮廷画家ルドゥーテの『バラ図譜』展」に企画協力させていただきました。そして、アートと植物学が見事に融合したルドゥーテのバラの絵の素晴らしさを展覧会で鑑賞するだけでなく、もっと多くの方々に身近に感じていただければとの思いからこの「ルドゥーテのバラの庭」を立ち上げました。

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